ポイント

  • 他者の動作の予測に誤差が出ると、自分の動作が無意識に変わる、新しい“運動伝染”を発見
  • 同じ他者の動作を見ても“予測誤差”の「あり」と「なし」では、自分の動作が真逆に変化した
  • 運動伝染を利用した効率的な運動トレーニングやリハビリ方法の開発につながる可能性
NICT脳情報通信融合研究センター(CiNet)、鹿屋体育大学、フランス国立科学研究センターは共同で、他者の動作が、自分が予測していた動作と異なる場合に生じる“予測誤差”が、自分自身の動作を無意識のうちに修正していることを明らかにしました。
他者の動作を見ることで、自分の動作が無意識のうちに影響を受けてしまう現象を“運動伝染”といいます。過去の研究は、他者の動作を単に見る場合、自分の動作が他者の動作をまねするように変化することを報告してきました。しかし、今回CiNetの池上剛研究員と鹿屋体育大学の中本浩揮准教授らのグループは、他者の動作を見ている時に、予測誤差が生じる場合には自分の動作が他者の動作とは異なるように変化するという現象を初めて確認し、新たな運動伝染の存在を示しました。本研究では、他者の動作を見る時の予測誤差を操作することによって、観察者の動作を、知らず知らずのうちに異なる方向へ導けることが確認できました。
なお、この成果は、神経科学の国際科学誌「eLife」オンライン版に日本時間5月29日(火)14時に掲載される予定です。

背景

スポーツ観戦をしている時、無意識に、アスリートと同じように身体を動かしてしまったことはないでしょうか?このように、他者の動作を見ることによって自分の動作が無意識のうちに影響を受ける現象のことを“運動伝染”といいます。過去の研究は、他者の動作を単に見るだけで、その動作を無意識のうちにまねしやすくなることを報告してきました。
一方、日常生活やスポーツ場面に目を向けると、我々は他者を単に見ているだけではありません。ほとんどの場合、次の動きを予測しながら他者を見ています。そして、実際に観察した動作が自分の予測と違っていることが多々あります。
このような予測した他者の動作と、実際に見た他者の動作との間に生じる、予測の誤差の情報を “予測誤差”といいます。では、他者の動作を見ている時に予測誤差が生じる場合、運動伝染は起こるのでしょうか?起こるとすると、自分の動作はどのような影響を受けるのでしょうか?
本研究では、これらの問いを検証するために大学野球部員を被験者とした次のような実験を行いました。

今回の成果

図1: 被験者の投げたボール位置の変化
図1: 被験者の投げたボール位置の変化
今回の実験では、被験者には、ターゲットの右上方向にばかり投げるピッチャーの映像を見てもらいました。ただし、“予測誤差がある条件”のグループでは、被験者が間違った予測をするように、映像の観察前に「ピッチャーは中心をねらっています」と誤った情報を伝えました(図2下段)。一方、“予測誤差がない条件”のグループでは、被験者が予測自体できないように、「ピッチャーは毎回様々な場所をねらっています」と伝えました(図2上段)。
その上で、被験者にターゲットの中心をねらってボールを投げてもらったところ、“予測誤差がない条件”でピッチャーの映像を見た後は、過去の研究と同じく、被験者が投げたボールの位置は、ピッチャーが投げたボール位置と同じ方向に無意識のうちにずれていきました(図1青丸、図2上段)。ところが、“予測誤差がある条件”で同じ映像を見た後は、被験者のボールの位置は、それとは真逆の方向にずれていきました(図1赤丸、図2下段)。この結果により、予測誤差によって生じる新しい運動伝染の存在が明らかになりました。
この新しい運動伝染によって、被験者の動作が予測誤差を打ち消す方向に変化した(補足資料参照)ことは、被験者の脳が、他者であるピッチャーが修正するべき誤差を、まるで自分の動作の誤差のように処理してしまっている可能性を示唆します。このように、運動伝染が自己の動作に与える影響は、他者の動作を模倣する方向の変化と、予測誤差を修正する方向の変化の、少なくとも2通り存在することが分かりました。特に、予測誤差によって生じる運動伝染の存在は、今回の研究によって初めて示されました。
本研究により、「自分が他者の動作をどのように見るか」によって、無意識のうちに受けている他者からの影響が変わるということが分かりました。そして、他者の動作を見る時の予測誤差を操作することによって、観察者の動作を異なる方向へ導くことができました。
 
図2: 本研究の概要
図2: 本研究の概要

今後の展望

本研究手法を応用することによって、動作を望ましい状態へと無意識のうちに変容させる、効率的な運動トレーニングシステムやリハビリ方法の開発が期待され、今後はその実用化に向けて研究を進めていきます。
 
◇本研究はJSPS科研費の助成(#16H05916, #26120003, #15616710, #13380602, #16K12999, #26702025)を受けたものです。

掲載論文

掲載誌:eLife
DOI:10.7554/eLife.33392
掲載論文名:Prediction error induced motor contagions in human behaviors
著者名:Tsuyoshi Ikegami, Gowrishankar Ganesh, Tatsuya Takeuchi, Hiroki Nakamoto

補足資料

実験方法

被験者である30名の大学野球部員(全員右投げ)は、10名ずつ、ランダムに“予測誤差なし”、“予測誤差あり”、“コントロール”の3つのグループに分けられました。 
“予測誤差あり”グループと“予測誤差なし”グループは、運動課題(図3A、5セッション)と観察課題(図3B、4セッション)を交互に行いました。“コントロール”グループは運動課題(5セッション)のみを行いました。
運動課題では、被験者はターゲットの中心をねらってボールを投げました(1セッションあたり10球)。ただし、ボールを投げた瞬間にシャッターゴーグルによって視覚を遮断するため、被験者は自分が投げたボールがどこに当たったかを、実験を通じて知ることはできませんでした(図3A)。
観察課題では、被験者は、右投げのピッチャーがターゲットのわざと右上(3番)ばかりにボールを投げる映像を観察しました(1セッションあたり20球)。図3Bのターゲット内の黄色のグラデーションは、ピッチャーの投げたボールが当たった場所の割合を示しています。
なお、観察課題中の予測誤差の有無を操作するために、“予測誤差なし”のグループには、課題前に「ピッチャーは、毎回ターゲットの様々な場所をねらっている」と伝え、“予測誤差あり”のグループには、「ピッチャーは、毎回ターゲットの中心(5番)をねらっている」と伝えました。これらの異なる教示によって、前者はピッチャーがどこにボールを投げるかを事前に予測できませんが、後者の場合は「中心付近にボールを投げるであろう」という予測があるため、平均すると右上方向に予測誤差が生じると考えられます。
 
図3: 被験者が行った運動課題(A)と観察課題(B)
図3: 被験者が行った運動課題(A)と観察課題(B)

実験結果

“予測誤差なし”グループと“予測誤差あり”グループでは、全く同じ映像を観察しているにもかかわらず、被験者自身の動作は全く異なる影響を受けました。
運動課題の結果(図4)、“予測誤差なし”グループが投げたボールの位置(青丸)は、観察したピッチャーと同じ方向、つまり右上方向に徐々にずれていきました。これは、従来報告されてきた運動伝染と同じ現象でした。
ところが、“予測誤差あり”グループのボール位置(赤丸)は、全く同じ動作を観察したにもかかわらず、真逆の左下方向に徐々にずれていきました。
また、観察課題を行わず、運動課題のみを行った“コントロール”グループのボール位置(黒丸)は、実験を通じて真ん中付近から変化しませんでした。
この結果から、予測誤差によって生じる新しい運動伝染の存在が明らかになりました。新しい運動伝染は、被験者の動作を、予測誤差(右上)を打ち消す方向(左下)に変化させることから、脳が他者であるピッチャーが修正するべき誤差を、まるで自分の動作の誤差のように処理してしまっている可能性を示唆します。
 
図4: 被験者の投球位置の変化(運動課題)
図4: 被験者の投球位置の変化(運動課題)

本件に関する問い合わせ先

国立研究開発法人情報通信研究機構
脳情報通信融合研究センター
脳情報通信融合研究室

池上 剛

Tel: 080-9098-3262

E-mail: ikegamiアットマークnict.go.jp

国立大学法人鹿屋体育大学 
体育学部

中本 浩揮

Tel: 0994-46-4975

E-mail: nakamotoアットマークnifs-k.ac.jp

広報

国立研究開発法人情報通信研究機構
広報部 報道室

廣田 幸子

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Fax: 042-327-7587

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