国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP)が策定を進めてきた電波の人体防護ガイドラインの改定版が2020年3月11日に公開されました。電波の人体防護ガイドラインは、これまでも世界保健機関(WHO)が推奨する等により、我が国をはじめ世界各国の電波防護規制の根拠として採用されてきました。新たなガイドラインでは、今後利用が本格化する第5世代移動通信システム(5G)等で用いられる電波の安全性を適切に判断するための抜本的な改定がなされており、その根拠として、NICTが開発した数値人体モデルや人体を構成する様々な組織の電磁気的な特性データに基づいた人体の電波吸収特性や温度上昇特性など、NICTの研究成果が多く引用されています。新たなガイドラインの公開により、5Gの安全かつ安心な利用と普及を促すことが期待されています。

概要

国立研究開発法人情報通信研究機構(本部: 東京都小金井市、理事長: 徳田 英幸、以下「NICT」)では、様々な無線機器からの電波の安全性を評価する技術の研究開発を行っています。このたび、国際非電離放射線防護委員会(International Commission on Non-Ionizing Radiation Protection; ICNIRP)から電波の人体防護レベルを定めたガイドライン(以下、国際ガイドラインという)の改定版が2020年3月11日に公表され、その中で、NICTの電波の安全性評価技術の研究成果が多く引用されました。新たな国際ガイドラインは、世界保健機関(World Health Organization; WHO)が推奨し、世界各国の電波防護規制に反映されるものであり、NICTの研究成果が国内外の電波の安全かつ安心な利用の促進に貢献する形となりました。

経緯

NICTでは、携帯電話の普及に伴う電波の安全性への関心の高まりを背景に、1996年より携帯電話等からの電波の安全性を評価するための技術について研究開発を進めています(補足1)。一方、ICNIRP(補足2)では、1998年に電磁界への人体ばく露に対する防護レベルを定めた国際ガイドラインが策定されており、WHOが世界各国に推奨する等により、我が国を含め世界各国の電波の防護規制値として採用されています。ICNIRPでは、1998年以降の電波の人体防護に関する研究と携帯電話等の電波利用の進展を背景に、2012年より国際ガイドラインの改定作業が進められていました。

新たな国際ガイドラインにおけるNICTの研究成果の引用

国際ガイドラインの改定において、人体の電波吸収特性(人体のどこにどれだけ電波が吸収されるのかを特徴づける性質)に関する2つの解決すべき課題がありました。
 第1の課題は、第5世代移動通信システム(5G)等で利用が本格化する準ミリ波・ミリ波帯において、人体を構成する皮膚や脂肪、筋肉等の様々な組織(生体組織)の電磁気的な特性が正確にわかっていないため、これらの周波数帯における人体の電波吸収特性が正確に把握できないことでした。この課題を解決するために、NICTでは図1に示す高精度測定システムを開発して多数の生体組織の電磁気的な特性を測定し、準ミリ波・ミリ波帯における生体組織の電磁気的特性のデータベースを世界で初めて構築してきました。このデータベースに基づき、準ミリ波・ミリ波帯において、従来よりも圧倒的に高精度かつ高信頼な電波の人体吸収特性(図2)を明らかにしました。ICNIRPでは、今回の国際ガイドラインの改定作業においてNICTを含む複数の研究機関からの研究結果が精査されましたが、NICTの研究結果が最も信頼性が高いものとして、新たなガイドラインにおける防護レベルの直接の根拠として採用されました。
図1:ミリ波帯電気定数測定システム
図1:ミリ波帯電気定数測定システム
図2:準ミリ波・ミリ波帯における許容できる電波強度。赤実線はNICTの研究結果に基づく防護レベルであり、エラーバーは結果の信頼性を示す不確かさ(ある一定の確率で真の値が存在する範囲)。黒破線は従来の国際ガイドラインの防護レベルであり、黒実線は改定された国際ガイドラインの防護レベル。改定された国際ガイドラインでは、防護レベルが従来よりも緩和されている。
図2:準ミリ波・ミリ波帯における許容できる電波強度。赤実線はNICTの研究結果に基づく防護レベルであり、エラーバーは結果の信頼性を示す不確かさ(ある一定の確率で真の値が存在する範囲)。黒破線は従来の国際ガイドラインの防護レベルであり、黒実線は改定された国際ガイドラインの防護レベル。改定された国際ガイドラインでは、防護レベルが従来よりも緩和されている。
第2の課題は、携帯電話で利用されている2GHz周辺の電磁波が小児に吸収される特性に関して、これまで報告されてきた結果がはたして正しいのかという点でした。近年、各国の研究機関では小児の数値人体モデルが複数開発され、これらの数値人体モデルを用いて、携帯電話の基地局からの電波が小児にどの程度吸収されるのかが計算されてきました。一部の研究結果では、小児の電波吸収量が成人の電波吸収量を大きく上回っていることから、従来の防護レベルの修正が必要であると報告されてきました。一方で、用いられた小児の数値人体モデルの多くは、成人の数値人体モデルを縮小したものであり、必ずしも小児の標準的な体形や内部構造が正しくモデル化されたものではないという問題が指摘されていました。この問題を解決するために、NICTでは小児の医療診断画像を基に数値人体モデルを新たに構築し、さらに国際放射線防護委員会(International Commission on Ionizing Radiation Protection; ICRP)が推奨する小児の体形と臓器重量のICRP参照値(補足3)に合致するように改良を重ね、世界で初めて電波の吸収特性の評価が可能なICRP準拠小児数値モデル(図3)を開発しました。これらのモデルを用いて小児の電波吸収量を精密に計算し、従来の防護レベルが妥当であることを明らかにしました。ICNIRPにおける今回の国際ガイドラインの改定作業では、NICTの研究成果(論文)が引用され、従来の国際ガイドラインで定めていた2GHz周辺の防護レベルを維持するとの判断がされました。
図3:ICRP準拠小児数値モデル(左右両図とも、左から1歳児、5歳児、10歳児の数値モデル)。人体を構成する組織の種類により色分けして表示している。左図は皮膚を透明化した小児数値モデルの3次元表示画像。右図は小児数値モデルの断面図。
図3:ICRP準拠小児数値モデル(左右両図とも、左から1歳児、5歳児、10歳児の数値モデル)。人体を構成する組織の種類により色分けして表示している。左図は皮膚を透明化した小児数値モデルの3次元表示画像。右図は小児数値モデルの断面図。

補足1:NICTの電波の人体吸収特性の評価技術のこれまでの研究経緯

NICTでは、例えば2001年に、人体の皮膚や脂肪、筋肉等の様々な組織を微細なブロックで表現し、そのブロックで人体を構築した数値人体モデルを開発しています。数値人体モデルを用いることで、携帯電話の基地局やスマートフォン等からの電波が人体にどのように吸収されるかを詳細に明らかにすることができ、現在、NICTの数値人体モデルは国内外で広く利用されています。近年では、5G等で利用が拡大する28GHz等の準ミリ波帯や更に高い周波数であるミリ波帯の電波の人体への吸収特性を正確に調べるため、NICTではこれらの周波数帯における生体組織の電磁気的特性(誘電率や導電率)のデータベースを構築してきました。

補足2:ICNIRPについて

ICNIRPは、非電離放射線(紫外線、可視光、赤外線、電波、電磁界)が健康と環境に与える影響について科学的な勧告と助言を行うことを目的とした利害関係者から独立した組織です。WHOや国際労働機関(ILO)、国際放射線防護委員会(ICRP)、国際放射線防護学会(IRPA)と密接に連携し、非電離放射線の人体防護に関する国際的な活動を進めています。ドイツに登録された非営利団体であり、議長、副議長および12名の委員からなる主委員会(Main Commission)と各プロジェクトに参画する科学専門家グループ(Scientific Expert Group)から構成されています。主委員会および科学専門家グループのメンバーは国立研究機関や大学等の中立的な組織から選出されており、産業界の関係者は参画できません。NICTからは、主委員会に渡辺聡一(電磁波研究所電磁環境研究室長)が、科学専門家グループに佐々木謙介(同室主任研究員)が参画しています。

補足3:ICRP参照値について

ICRPは、X線やγ線等の電離放射線の人体防護に関する世界で最も権威のある組織であり、ICNIRPと同様に利害関係者から独立した専門家により構成されています。ICRPでは放射線の人体安全性の評価を統一的に評価するために、成人男女及び小児(1歳、5歳、10歳、15歳)に対する標準的な人体の寸法および臓器の重量を「ICRP参照値」として定めています。

本件に関する問い合わせ先

電磁波研究所電磁環境研究室

渡辺 聡一

E-mail: wataアットマークnict.go.jp