国立大学法人山梨大学(山梨大学、学長: 島田 眞路)大学院総合研究部 中込 亮(博士課程3年)、内山 和治助教、堀 裕和教授、学校法人龍谷大学(龍谷大学、学長: 入澤 崇)理工学部物質化学科 内田 欣吾教授、及びNICTネットワークシステム研究所 成瀬 誠総括研究員らの共同研究グループは、ナノメートルサイズの針先の近接場光により、光記憶性能を持つフォトクロミック単結晶の表面に光の波長以下の大きさのパターン(アルファベット)を描き、さらに消去することに初めて成功しました。この成果は、波長より小さなスケールにおいて、意思決定などの知的機能に必要な動的記憶構造を実証したものです。本研究は、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業CREST(研究代表者: NICT成瀬 誠総括研究員、課題名: ナノ光学と光カオスを用いた超高速意思決定メカニズムの創成)の一環として行われました。
この研究成果は、イギリスの科学雑誌Nature姉妹誌の「Scientific Reports」(9月27日付け)にオンライン掲載されました。
 

本研究のポイント

  • フォトクロミック単結晶表面に近接場光でナノメートルスケールのパターンを描くことに成功
  • 光で大きく構造を変える新規材料とナノメートルサイズの光(近接場光)を組み合わせることで実現
  • 光の波長以下で動作するナノ光メモリとしての記録、消去の基本性能を確認
  • 光反応と分子変形の釣り合いを活用して現実問題を解くナノサイズ光AIの実現につながる成果

1.概要

近年、「自然知能」と呼ばれる全く新しいタイプの機能が注目され、新たな光材料や光デバイスを用いた光コンピューティングによる実現に向けて活発な研究が行われています。主要な要素である光記憶にも既存の技術からの革新が求められており、光による分子の構造変化(光異性化)によって光情報を記録・消去できるフォトクロミック分子が注目されています。分子1個の大きさは1ナノメートル(nm、10億分の1メートル)程度であり、超小型の不揮発性メモリと言えます。本研究では、フォトクロミック分子の一種であるジアリールエテン分子が規則的に並んだ結晶の表面に、ナノメートルサイズの光により直径約30ナノメートルの書き込み(光異性化)を行うことに世界で初めて成功し、この書き込みを繰り返し行うことで、光の波長(500ナノメートル程度)より小さな範囲にアルファベット(「UY」)のパターンを描くことに成功しました。このパターンを光によって消去できることも確認し、光の波長以下のスケールにおけるナノ光メモリとしての基本性能を確認しました。
分子が光によって構造を変えるような、光と物質の相互作用は、意思決定、解探索、認識などの知能システムの構築を目的として活発に研究されています。フォトクロミック物質の可逆的光異性化(フォトクロミズム)は今後の光機能システムの重要な要素と考えられます。その物質の中でも、ジアリールエテンは熱的に安定で、結晶状態でもフォトクロミズムを示すことから特に注目されています。我々は、これまで光プロセスのみでは実現が困難であった光情報記憶を、ジアリールエテン結晶の光異性化現象と近接場光励起を組み合わせ、ナノメートルスケールで実現する可能性に着目しました。近接場光とは、光の波長以下のサイズの物質に光が作用したときに、物質にまとわりつくように生まれる、光の波長よりも小さい光のことです。
ジアリールエテン結晶に、近接場光による励起を加えると、近接場光の持つ大きな運動量によって、分子の集団的な光異性化が引き起こされます。一方、光異性化に伴う分子構造変化によって結晶中に生じる機械的歪みが光異性化の広がりを抑えるため、結果として局所的な光異性化が引き起こされると期待されます。我々の先行研究によって、近接場光励起をフォトクロミック結晶表面の1点に加えたとき、結晶の裏面にナノメートルスケールの光異性化パターンが形成されることは近接場光学顕微鏡で観察されていました。ナノ光メモリとしての記録密度や集積性を評価し、さらに、波長より小さなスケールにおいて近接場光により引き起こされる光異性化の特質をより深く理解するためには、近接場光励起を試料表面上に複数点加えた場合の局所光異性化の研究が求められていました。本論文では、複数点励起によるパターン状の光異性化を、結晶表面の形状変化として捉え、実証実験を世界で初めて報告しました。

2.研究方法

(1) 光異性化に伴い大きな構造変化を示す分子の合成と結晶試料作製
近接場光による局所光異性化の観察を行うために、光異性化に伴う分子構造変化の大きな新しいジアリールエテン分子を合成し、昇華法によって結晶化しました(図1)。一般的なジアリールエテンと比べて数倍大きな構造変化を示すため、光異性化に伴う機械的歪みが大きくなり、表面形状の変化も大きく観察に適しているのみならず、光異性化の周辺への広がりが強く抑制されることで局所性の優れた光異性化を可能にします。

(2) 光支援型原子間力顕微鏡による結晶表面の局所近接場光励起とその場観察
近接場光による励起と、光異性化の観察を、光支援型原子間力顕微鏡(AFM)で行いました。観察に使用する赤色レーザー光が顕微鏡探針の先端に当たって、先端曲率半径(今回使用した探針では8ナノメートル)と同程度の範囲に小さな光(近接場光)を発生させます。この針先の近接場光を結晶表面に作用させ局所的な光異性化を起こします。光異性化に伴う分子構造変化によって生じる結晶表面の形状変化をAFMによって随時その場で観察することが可能です(図2)。

(3) 近接場光による局所光異性化の二次元的付与によるアルファベットパターンの形成と消去
近接場光励起を二次元的に複数点加えることで、アルファベットパターンを形成しました。さらに、針で表面をなぞりながら局所光異性化をパターン全体に均一に加えることでパターンを消去可能であることを確認しました。

3. 結果

(1) 近接場光を用いフォトクロミック結晶表面の直径約30nmの範囲に限定した光異性化に成功
昇華法で育成した結晶は、開環体状態にそろっており完全に透明です。この結晶を紫外光にさらすと、閉環体が生まれ赤紫色に着色します(図1)。着色した結晶表面に、AFM探針を近接させ、探針先端に発生しているナノメートルサイズの近接場光を30秒程度作用させると、その付近だけ光異性化され透明になります。この際、分子は結晶の観察表面に垂直な方向に縮むため、凹みが生じます。この光異性化に伴う凹みの発生をAFM観察により確かめました(図3)。光異性化は約30ナノメートルの範囲に限定されており、使用している光の波長670ナノメートルの20分の1以下の微細な書き込みができることを示しました。
この結果の特徴は、近接場光励起を起点として自然に一定の範囲だけが脱色され、光異性化の広がりが止まる、という点です。私たちは、このジアリールエテン結晶内の分子が周辺の分子と関係しながら光異性化の領域を選択する性質を、ナノメートルスケールの機能として意思決定などに活用することができます。
 
(2) 近接場光を用いた局所光異性化によりアルファベットパターンの形成に成功
一点の近接場光励起による微細な光異性化を描画単位として、結晶表面に複数の局所光異性化を行い、アルファベットパターンを形成することに成功しました(図4)。山梨大学の英語表記「University of Yamanashi」の頭文字UとYを、200ナノメートル四方に1文字ずつ描画しました。Uは8点、Yは6点の近接場光励起により描画し、結晶の特性などにより複雑なパターンを含みつつも、はっきりとUとYが形成されました。この文字サイズで印刷すると、単純計算で髪の毛の断面(直径0.1ミリメートル程度)に新聞1部のすべての記事を書き込めます。
この結果は、局所光異性化により50ナノメートル程度の間隔で0と1の光情報を記録できることを示しています。たとえば、フォトクロミック結晶の薄膜を半導体の光演算素子の上に形成すれば、「UY」などの微細光パターンを演算素子に入力し、演算結果を得ることができます。ナノメートルスケールで動作する光知能システムの入出力インターフェースとして重要な役割を果たすと期待されます。
 
(3) 光異性化パターンを光励起により消去することに成功
このアルファベットパターンを、観察表面全体への均一な近接場光励起により消去できることを確かめました(図5)。消去の過程を連続AFM測定で観察しました。アルファベットパターン(「UY」)の情報が徐々に失われますが、一様に消失するのではなく、パターンの特長を反映しながら変化していくことが観察されました。また、消去の過程で、結晶育成時と同様の段差1ナノメートルのステップ状構造へと平坦化されていくことも確認しました。これにより、同じ表面に繰り返し微細なパターンを描画することが可能になるほか(不揮発性メモリ)、波長より微細なパターンの動的記憶などの新機能が示唆されます。

4.今後の期待

次世代の光コンピューティングは、光の波長よりも小さいナノメートルスケールでの光と物質の相互作用が、各場所の個性や作用の履歴に応じて、非自明性を取り込みながら、マルチスケールで複雑に相関を持って連鎖的に働くことで、自発的に問題解決や情報処理を行うものであると考えています。微細な光励起を時々刻々と結晶に刻み込むフォトクロミック結晶は重要な基礎構造になります。どれだけ微細な構造を書き込めるか確認することを目的として始めた本研究は、そもそもなぜこれほどに微細な構造を書き込めるのかという基礎物理への探求へと繋がり、近接場光による光異性化と結晶の機械的歪みの釣り合いの時間発展が生み出す、学習にも似た微細光異性化現象を発見するに至りました。この成果は、コンピュータ等で実装されている学習機械をナノメートルスケールで複雑な電気配線をせずに実現するばかりでなく、曖昧さや時間的不安定さを含む問題にも柔軟に応答する自然界の複雑な数物構造を模した、全く新しい機能を生む可能性を秘めています。フォトクロミック結晶には、一定以上の光励起により、結晶自体が大きく折れ曲がったり、割れて跳躍したりする破壊的性質もあり、光異性化による情報処理と合わせて、ごく稀に起こる異常の検知への応用も期待されます。フォトクロミック結晶の中で、複雑な現実問題が解決されていく日が来るかもしれません。

原論文情報

Nanometre-scale pattern formation on the surface of a photochromic crystal by optical near-field induced photoisomerization
 
Ryo Nakagomi1, Kazuharu Uchiyama1, Hirotsugu Suzui1, Eri Hatano2, Kingo Uchida2, Makoto Naruse3, and Hirokazu Hori1
1 University of Yamanashi, 4-3-11 Takeda, Kofu, Yamanashi 400-8511, Japan
2 Ryukoku University, 1-5 Yokotani, Oe-cho, Seta, Otsu, Shiga 520-2194, Japan
3 Network System Research Institute, National Institute of Information and Communications Technology, 4-2-1 Nukui-kita, Koganei, Tokyo 184-8795, Japan

補足説明

自然知能
解決したい問題を自然界の複雑な現象の構造を活用して解くことを自然知能と言います。数学的な取り扱いや、具体的な研究状況については、人工知能学会の会誌「人工知能」の2018年9月号(Vol. 33 No. 5)における特集「自然界に見いだす数物構造を利用した知的情報処理」において紹介されています。

フォトクロミック分子
フォトクロミック分子とは、2つの分子構造を光で可逆的に切り替えることができる分子のことです。この切り替えのことを光異性化と呼び、可逆的な光異性化をフォトクロミズムと言います。可視光に対して透明な状態と不透明な状態を切り替えるフォトクロミック分子があり、最近では紫外線量に応じて色が変わるサングラスなどにも応用されています。本研究に用いたジアリールエテンは、数あるフォトクロミック分子の中で唯一、結晶状態でも光異性化を示します。入江正浩(九州大学、現在は立教大学)らが世界で初めて合成に成功した日本発の高機能材料です。分子中央部の環状構造が開いている開環体、閉じている閉環体があり、それぞれ数%程度長さが異なります。今回は、分子サイズの変化が大きな新誘導体を使用しました。

近接場光
私たちが日頃目にする光は、光源から伝わって来る光で、伝搬光と呼ばれます。近接場光は、伝搬光と異なり空間を伝わらずに一点に留まる光です。例えば本研究のように、光の波長よりも小さい数ナノメートル程度まで尖らせた構造に伝搬光を当てたときに、その構造にまとわりつくように近接場光が発生します。伝搬光は光の波長程度までしか絞ることができませんが、近接場光は光の波長の数十分の1といった微細な領域に絞ることができ、伝搬光では不可能な光加工や光励起を可能にします。

原子間力顕微鏡(AFM)
原子間力顕微鏡は、先鋭化した針(探針、プローブ)で試料表面をなぞるようにして形状や性質を調べる走査型プローブ顕微鏡の一つです。探針と試料表面が数ナノメートルまで近接すると強くなる原子間力を、探針を取り付けたカンチレバーと呼ばれる微小な板(片持ち梁)の振動の変化を通して検出して、表面をなぞります。本研究では、レーザー光をカンチレバーに照射し、板の曲がり具合を反射光の変化で捉える光テコ方式の原子間力顕微鏡を用い、近接場光励起と表面形状観察を行いました。

別紙

図1 フォトクロミック分子
図1 フォトクロミック分子
(a)ジアリールエテンの分子構造。開環体状態と閉環体状態を紫外光、可視光で切り替えることが可能。(b)開環体、閉環体は可視光域に吸光度の違いを持つ。(c)昇華法で作製したジアリールエテン結晶の外観。上は着色した結晶。下は一部を光異性化で透明にした状態。

図2 近接場光による光異性化とその場観察のイメージ図
図2 近接場光による光異性化とその場観察のイメージ図
光テコ方式原子間力顕微鏡を用いた。赤色レーザー光をカンチレバー先端部に照射すると、探針先端に近接場光が発生する。発生した近接場光を結晶表面に数十秒当てることで局所的な光異性化を行う。光異性化により脱色した領域の表面に生じる凹みを原子間力顕微鏡にてその場観察した。
 
図3 近接場光による局所的な光異性化の確認
図3 近接場光による局所的な光異性化の確認
原子間力顕微鏡の探針先端の近接場光を30秒ほど当てた場所に、幅約30ナノメートル、半値全幅15ナノメートル程度の凹みが見られた。(a)観察画像。図中白線上のラインプロファイルを(b)に示した。
 
図4 光の波長以下の範囲にアルファベットパターン(「UY」)を描画した
図4 光の波長以下の範囲にアルファベットパターン(「UY」)を描画した
(a)近接場光による局所光異性化を行う順番を示した。Uは8点、Yは6点の光異性化を行い描画した。
(b)描画したアルファベットパターン。
 
図5 描画したアルファベットパターンを、観察範囲全体への均一な近接場光励起で消去した
図5 描画したアルファベットパターンを、観察範囲全体への均一な近接場光励起で消去した
4回目の像ではアルファベットパターンは区別できないほどに消えており、18回目の像では、パターンを描いた場所も判別できなくなり、1nm程度のステップからなる平坦な面に戻った。

本件に関する問い合わせ先

情報通信研究機構
ネットワークシステム研究所

総括研究員 成瀬 誠

E-mail: naruseアットマークnict.go.jp

山梨大学大学院総合研究部

教授 堀 裕和
助教 内山 和治

Tel: 055-220-6680

E-mail: hirohoriアットマークyamanashi.ac.jp

E-mail: kuchiyamaアットマークyamanashi.ac.jp

龍谷大学理工学部物質化学科

教授 内田 欣吾

E-mail: uchidaアットマークrins.ryukoku.ac.jp

広報担当

情報通信研究機構
広報部 報道室

Tel: 042-327-6923 Fax: 042-327-7587

E-mail: publicityアットマークnict.go.jp

山梨大学 総務部総務課広報企画室

Tel: 055-220-8006 Fax: 055-220-8799

E-mail: kohoアットマークyamanashi.ac.jp

龍谷大学 学長室(広報)

Tel: 075-645-7882 Fax: 075-645-8692

E-mail: kouhouアットマークad.ryukoku.ac.jp