ポイント

  • “心の性別”を左右する脳の性差を人為的に切り替えることにショウジョウバエで成功
  • 不要タンパク質を分解するための酵素が、細胞の性を決める役目も担っていることを発見
  • ヒトでも同様の仕組みが働いていれば、心の性の多様なあり方を科学的に理解する手がかりに
NICT 未来ICT研究所は、ショウジョウバエの神経細胞にオスの特徴を作り出す“オス化の暗号タンパク質”を発見しました。さらに、このタンパク質の末端が切断されると、オスではなくメスの特徴を作る働きに切り替わることを明らかにしました。オスでありながら“メス化の暗号タンパク質”を持つように遺伝子改変すると、オスの異性に対する関心が低下しました。この発見により、心の性の多様なあり方を科学的に解明することが可能になると期待されます。なお、本研究の成果は、2019年1月11日(金)(日本時間19:00)、英国科学総合誌「Nature Communications」にオンラインで発表されます。
本研究の一部は、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(S)「神経行動形質を決定付ける遺伝子—環境相互作用の細胞機構」(課題番号 16H06371)の支援を受けて実施したものです。

背景

脳には、通常の情報処理から半ば独立の“情報ホットライン”が幾つかあると考えられます。その一つは、異性間のコミュニケーションを支える神経回路ですが、この性に特化した神経回路の働く仕組みは不明です。この特異な回路の動作論理が解明できれば、新しいコミュニケーション・システムを開発する端緒となるでしょう。このように、バイオICTは、生命進化の成果に学び、未来社会を拓く新しい情報通信パラダイムの創出につながる基礎となる研究を実施しています。

今回の成果

図1 サトリ変異体のオス同志が求愛して輪になったところ
図1 サトリ変異体のオス同志が求愛して輪になったところ
(小金澤雅之氏提供の動画に基づく。)
行動神経生物学プロジェクト 山元大輔上席研究員は、オスがメスにではなく同性のオスに求愛するショウジョウバエの突然変異体“サトリ”の研究を通じ、脳の性差を作り出すタンパク質として“フルートレス”を先に特定していました(図1参照)。
このたび、佐藤耕世研究員らと共に、フルートレスが脳の性を決定する上で必要とする第二のタンパク質“ローラ”を発見しました。細胞によって合成された時のローラは、脳の神経細胞をオスに特有の形に仕上げる働きを持っていました。メスでは、このローラが刈り込まれて短くなります。驚いたことに、この短くなったローラは、神経細胞をメスに特有の形に作り上げる働きを持っていました。これまで、要らなくなったタンパク質を壊すために使われると思われていた酵素が、ローラ刈り込みの主役でした。オスだけに存在しているフルートレス・タンパク質は、ローラに張り付いて分解酵素からそれを守ることで、オスでは神経細胞をオスらしい姿にし、フルートレスを持たないメスではローラの刈り込みが起こって神経細胞はメスの姿になることが明らかになりました。
本成果は、心の性が生み出される仕組みの解明につながり、ジェンダー多様性の理解に資するものと期待されます。

今後の展望

フルートレスやローラ、更にローラ分解に働く酵素とよく似たタンパク質はヒトにも存在していることから、今回発見された仕組みがヒトの脳と心の性的多様性を生み出している可能性を検証することが望まれます。

補足資料

今回の発見のハイライト

図4 フルートレスとローラが協力的に働いて脳と行動を「オス型」「メス型」へと導く機構の模式図
図4 フルートレスとローラが協力的に働いて脳と行動を「オス型」「メス型」へと導く機構の模式図
mALニューロンの同側神経突起は、オスのmAL細胞でのみ形成されます。ここに直接関与するのは、Robo1遺伝子です。Robo1は、突起の形成を抑制する遺伝子で、フルートレス・タンパク質はその読み出しを阻止することにより、オス特異的な突起の形成を導きます。この抑制にフルートレスと共に関与するのがローラQタンパク質です。メスでは、Ubiquitin proteasome系の働きによってローラQのN末端が除去され、ローラQによるRobo1遺伝子の転写抑制(Robo1遺伝子のロック)が解除されるため、Robo1タンパク質が作られて、突起の形成が起こります。オスでは、フルートレス・タンパク質がローラQに結合して分解を阻む結果、Robo1タンパク質は作られず、その結果、突起が形成されるのです。こうして脳の神経回路に性差が作られる結果、行動にも雌雄による違いが生じるのです(図4参照)。
Robo1遺伝子のDNA情報の読み出しをローラQタンパク質が阻止できなくなると、オスでありながらオス特異的神経突起を持たないmALニューロンが増えてきます。そのようなオスは、求愛行動が変になってしまうのです。キイロショウジョウバエのオスは、メスに求愛する時に、片方の翅を震わせて羽音を立て、メスを口説きます。この羽音がラブソングと呼ばれるゆえんです。数秒ごとに左右の翅を切り替えて震わせますが、ローラQの抑制が効かなくなると、オスは早送りの映像のように、せわしなく左右の翅を切り替えるようになってしまうのです。遺伝子と脳、そして行動がどう関係し合っているのかがこうして明らかになってきました。
 
図5 フルートレスとローラによる標的遺伝子の制御機構の模式図(上) キイロショウジョウバエの染色体写真の上で交尾する雌雄(下)
図5 フルートレスとローラによる標的遺伝子の制御機構の模式図(上)
キイロショウジョウバエの染色体写真の上で交尾する雌雄(下)

DNAは、クロマチンというぐるぐる巻きにされた状態で折り畳まれ、染色体という構造を作っている。折り畳みがきつい(左)時、遺伝子はロック状態となり、それが緩む(右)とロックが解除されて読み出される。フルートレスとローラは、この切替えをするタンパク質である。
(下の図: 伊藤弘樹氏、小金澤雅之氏原図)

掲載論文

掲載誌:Nature Communications
URL:http://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-08146-1
DOI10.1038/s41467-018-08146-1
掲載論文名:Partial proteasomal degradation of Lola triggers the male-to-female switch of a dimorphic courtship circuit.
著者名:Sato, K., Ito, H., Yokoyama, A., Toba, G. and Yamamoto, D.
 

用語解説

サトリ突然変異体
ヒトや動物の行動も、体型や体質のように遺伝的な要因によって決まる部分が大きいとの考えから、山元らは行動の特徴を決める遺伝子を見つける試みを30年前に始めた。キイロショウジョウバエを材料に、人為的に遺伝子に突然変異を引き起こし、その結果として求愛行動が変化したものを探したところ、8種類の「変わり者」が見つかった。
その一つがサトリと命名した突然変異体系統である。この系統のオスは、メスに対して全く求愛をせず、ましてや交尾などするわけもなく、不妊である。そこで、悟っている、としてサトリの名が付いた。しかしその後、同性であるオスに対しては求愛することが判明した(図1参照)。
続いて、サトリ系統のオスが同性に求愛する原因となっている変異が、どの遺伝子に起こっているのかを突き止めた。その遺伝子がフルートレス遺伝子で、サトリ系統ではこの遺伝子が壊れているため、そのDNA暗号に基づいて作られるはずのフルートレス・タンパク質が失われて、その結果、オスは同性愛行動を示すようになることが分かった。
フルートレス・タンパク質
図2 mALと呼ばれる脳細胞の性差
図2 mALと呼ばれる脳細胞の性差
正常なメス(A)と正常なオス(C)では、右側の突起の有無が大きな違いである。ローラを取り除いたメス(B)では脳細胞がオスの形に変化している。
フルートレス遺伝子は、他の遺伝子がそうであるように雌雄共通である。ところが、この遺伝子の情報を使ってタンパク質が作られるのは、オスの脳神経系だけだった。フルートレスは、オス特有のタンパク質だったのである。
フルートレス・タンパク質は、細胞の中の遺伝子の保管庫である染色体の決まった場所(決まった遺伝子のある場所)にくっついて、くっつかれた相手の遺伝子に鍵を掛けて情報を読み取れなくする役目をしていた。鍵の掛かっていないメスでは情報を読み取れるのに、オスでは読めないことになる。全部で約1万5,000個あるショウジョウバエの遺伝子のうちの100個余り(メスでは読まれる遺伝子)に鍵を掛けることで、オスの特徴を作り出すのである。ここでいう「オスの特徴」「メスの特徴」とは、脳細胞の性差を指している。山元らは、既に脳の細胞一個一個の形に雌雄で違いがあることを見いだしていて、同じ細胞でありながらオスとメスとでは違った神経回路を築き上げることを明らかにしている(図2参照)。脳のこの性差こそが、行動の性による違いを作り出す本体だったのである。

ローラ・タンパク質
図3 ローラQ・タンパク質は、分解酵素で刈り込まれて、メス特有のローラ29Fになる。
図3 ローラQ・タンパク質は、分解酵素で刈り込まれて、メス特有のローラ29Fになる。
フルートレス・タンパク質の働きを弱めたり強くしたりする能力のある遺伝子を探したところ、ローラという名前の遺伝子が見つかった。この遺伝子のDNA暗号からは、数十種類もの互いに似通ったタンパク質が作られる。そのうちの二つに、性による違いを発見した。一つは、メスにしかないローラ29F・タンパク質の存在である。これとは別に、両性にあるものの、メスよりオスがたくさん持っているローラQ・タンパク質もあった。実は、この雌雄共通タンパク質の一端がメスでは切り落とされて、メス限定のローラ29Fができることが分かった。ローラQの刈り込み役は、要らなくなったタンパク質の掃除屋といわれている酵素たちである。これらの酵素は雌雄両方にあるが、刈り込みが起こるのはメスだけである。その訳を探ったところ、オスではフルートレス・タンパク質がローラQにぴったりと張り付いて掃除屋酵素を寄せ付けないからだ、ということが分かった。ローラQも、染色体にくっついて相手の遺伝子をロックする。実際、フルートレス・タンパク質とペアになって相手にくっつくらしく、ダブルロックを掛けてオスの特徴を引き出す。ローラ29Fは、そのローラQを妨害することで、メスの特徴を作り上げるのである。

本件に関する問い合わせ先

未来ICT研究所
行動神経生物学プロジェクト

山元 大輔、佐藤 耕世

Tel: 078-969-2201又は2203

E-mail: daichanアットマークnict.go.jp

広報

広報部 報道室

廣田 幸子

Tel: 042-327-6923

Fax: 042-327-7587

E-mail: publicityアットマークnict.go.jp