慶應義塾大学理工学部物理情報工学科の門内靖明専任講師のグループは、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)の笠松章史上席研究員、渡邊一世主任研究員と共同で、テラヘルツ波をプローブとする小型・高分解能のレーダを開発し、それを用いて人の胸部表面に現れる心拍の動きを衣服越しに非接触計測できることを実証しました。
電波と光の中間の波長を持つテラヘルツ波をレーダとして応用すると、電波よりも分解能が高く、光よりも媒質透過性が高い計測が可能になります。しかし、レーダの重要な要素であるビーム走査に必要なフェーズシフタ、および送受信波分離に必要なサーキュレータをそれぞれテラヘルツ帯で実装するために適した低損失材料が未だなく、レーダの小型化は困難と考えられてきました。
今回、研究グループは、テラヘルツ波の導波路構造に工夫を取り入れ、中央給電構造による励振モードの対称性と、導波路内外の波動結合指向性の対称性とを組み合わせることで、フェーズシフタもサーキュレータも用いることなくビーム走査と検波とを同時に実現できることを示しました。そして、周波数掃引によって得られるデータを処理することで対象物の方向・距離・速度を算出する手法も併せて開発し、レーダとして機能することを実証しました。この成果により、近年車載応用をはじめ急速に普及が進んでいるミリ波レーダよりも大幅に小型で高分解能のレーダを実現する具体的な道筋が明らかになりました。
また研究グループは、開発されたレーダを用いて、人の胸部に生じる心拍の動きを衣服越しに非接触計測し、心電図と同期した詳細な動きを捉えられることも実証しました。これにより短時間で簡便に、衛生面やプライバシー上の懸念も和らげながらヘルスチェックを行える可能性が拓かれます。
本研究は、総務省戦略的情報通信研究開発推進事業SCOPE(165103002)、および戦略的創造研究推進事業さきがけ(JPMJPR18J9)の一環として行われ、その成果は2020年1月27日(英国時間)に英国科学誌Nature Electronicsに掲載されました。

1.本研究のポイント

・テラヘルツ波を使うと、ミリ波など従来用いられていた電波より分解能が高く、光より媒質透過性が高いレーダを実現できる。
・レーダの重要な要素であるフェーズシフタおよびサーキュレータを、それぞれテラヘルツ帯で作製するために適した低損失材料が今のところ存在していない。
・導波路構造を工夫することで、フェーズシフタやサーキュレータを使うことなくレーダを構築した。
・開発したレーダを用いて、人の胸部の拍動を衣服越しに非接触計測できることを示した。

2.研究背景

近年、車載用ミリ波レーダが本格的な普及期を迎えています。一般に、レーダの距離および角度方向の分解能はそれぞれ周波数帯域幅と波長によって制限されるため、ミリ波よりも高周波・短波長のテラヘルツ波を用いると、さらに高分解能かつ小型のレーダを実現できると考えられます。一方で、波長が短くなるほど波動の回折減衰が急速に増すため、高い指向性のビームを形成・走査して減衰を補うことが重要になります。現在では、高周波半導体技術の進展により、実用的な水準のテラヘルツ発振器・逓倍器や受信器が作製されるようになってきました。しかし、ビーム走査に必要なフェーズシフタや、送受信信号分離に必要なサーキュレータを、それぞれテラヘルツ帯で実装するために適した低損失材料が未だ存在していません。そのため、テラヘルツレーダをコンパクトに集積実装することは難しいものと考えられていました。

3.研究内容・成果

導波路構造の工夫により、フェーズシフタもサーキュレータも用いることなくビーム走査と検波とを同時に実現することを試みました。具体的には、電波帯でよく知られている導波管をテラヘルツ帯向けにスケールダウンした導波路をベースとし、給電点から左右対称に波動を励振すべく中央に増幅逓倍器を、また左右両終端部にそれぞれ受信器を取り付けました。左右両導波路の側面に開口部を設けることで一部の波動は周波数に依存した指向性で空中に放射され、残りは導波路内に留まりながら終端部まで達するように放射率を調整しました。この構造により、左(右)側導波路から放射され、遠方の対象物で反射後に右(左)側導波路で捕捉される波動は、最初から右(左)側導波路内に留まったまま終端部に達する波動と干渉して受信器で検波されます。このようにして、周波数掃引によってビーム走査と検波とを同時に実現できることを示しました。そして、掃引とともに得られるデータを処理することで、対象物の方向・距離・速度を算出する手法も併せて開発し、レーダとして機能することを実証しました。さらに、それを用いることで人の胸部に現れる心拍の動きを衣服越しに非接触計測し、心電図と同期した詳細な動きを捉えられることも実証しました。これはヘルスチェックの大幅な省力化に資する成果です。
本研究において、慶應義塾大学は導波路構造およびデータ処理手法の考案と製造、実験の全般を担当し、情報通信研究機構(NICT)は実験設備(先端ICTデバイスラボ)の提供とテラヘルツ帯に特有の実験技術に基づく導波路特性の評価の一部を担当しました。

4.今後の展開

近年車載応用をはじめとして急速に普及が進んでいるミリ波レーダよりも、さらに小型で高分解能のレーダを実現するための具体的な道筋が明らかになりました。このレーダは今後、今回は対象外とした汎用周辺部品の集積化も併せて行うことで、モバイル・ウェアラブル端末や生活環境中に組み込むことができるようになります。心拍をはじめとする身体のさまざまな動きを、接触や拘束に伴う煩わしさをなくして非接触計測することで、短時間で簡便に、衛生面やプライバシー上の懸念も和らげながらヘルスチェックを行える可能性が拓かれます。なお、そのためにはソフトウェアの研究開発も並行して行うことが重要であり、衣服や体形の違いによる影響を切り分けつつ、多くの測定データの特徴を解析することで、心身の健康状態や疾患の兆候を検知できるようになることなどが考えられます。

図1 提案するテラヘルツ波レーダの構造。(詳細は論文のFig. 1およびFig. 2参照)
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図2 衣服透過型遠隔心拍計測の実験。心拍に伴う反射波の位相差とTime-of-flightの計測を繰り返し、時系列信号として表示。(詳細は論文のFig.6参照)
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原論文情報

論文名: Integrated terahertz radar based on leaky-wave coherence tomography
著者: Hironori Matsumoto, Issei Watanabe, Akifumi Kasamatsu and Yasuaki Monnai
doi: 10.1038/s41928-019-0357-4

用語説明

テラヘルツ波
おおよそ周波数が100GHzから10THz程度の電磁波の総称。
今回の研究では特に、実験で用いた330GHz-500GHzの電磁波を指す。
フェーズシフタ
波動の位相遅延を可変にする素子。例えば液晶のように屈折率が可変な材料を用いて実装する。
サーキュレータ
ひとつの波動の出入口に対して送信器と受信器を取り付けられるようにする非可逆素子。例えばフェライトなどの磁性体を用いて実装する。
ミリ波
おおよそ周波数が30GHz-300GHz(波長が1mm-10mm)の電磁波の総称。100GHz-300GHzにかけてテラヘルツ波との境界は曖昧である。

研究内容についてのお問い合わせ先

慶應義塾大学
理工学部 物理情報工学科

専任講師  門内 靖明(もんない やすあき)

TEL:045-566-2597

E-mail: monnaiアットマークappi.keio.ac.jp

国立研究開発法人情報通信研究機構
未来ICT研究所
フロンティア創造総合研究室

上席研究員 笠松 章史(かさまつ あきふみ)

TEL:042-327-6824

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