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主担当者:和久井 健太郎、鈴木 重成、大舘 暁、笠井 克幸

伝播する光の場における「シュレーディンガーの猫」状態の生成

主担当者: 鈴木 重成

量子重ね合わせ状態

 量子力学が支配するミクロな世界では、いわば「表でありながら裏でもある」とも言うべき奇妙な状態も存在することができます。このような状態を量子重ね合わせ状態といいます。
 たとえば、原子の状態においては、1個の電子が同時に複数の軌道を回るということも可能です。ここで、軌道Aに電子がある状態を |A≻、軌道Bに電子がある状態を |B> と表現すると、これらからなる重ね合わせ状態は |A>+|B> と表現されます。

図:量子重ね合わせ状態

シュレーディンガーの猫

 これは、量子力学がいかに不条理なものか説明するための思考実験モデルとして、オーストリアの理論物理学者シュレーディンガーが発表したものです。
 箱の中には、一匹の猫と放射性原子の崩壊によって壊れる毒ガス入りのビンが入っています。放射性原子は量子力学に支配されているので、「崩壊した状態と崩壊していない状態の重ね合わせ」になっています。一方、崩壊した状態は猫が死んだ状態と、崩壊していない状態は猫が生きている状態と、それぞれ対応するはずです。つまり、箱の窓を明けて観測するまでは、中には生きている猫と死んでいる猫が同時に存在している状態になっているのです。
 このような状態を我々が目にすることはありません。そのため、シュレーディンガーらにより疑問を投げかけることとなりました。

図:シュレディンガーの猫

伝搬する光の場における「シュレーディンガーの猫」

 実際には、「猫」の代わりに光のコヒーレント状態*1を使って「シュレーディンガーの猫状態」を作ることが考えられてきました。こうした状態は基礎科学上重要なだけでなく、情報通信の分野において革命的な進歩をもたらすと期待されています。そのため、その実現が長年待ち望まれてきました
 下の図は、「シュレーディンガーの猫状態」つまり重ね合わせ状態(左)と単なる混合(右)をウィグナー関数*2と呼ばれるものを使って表現したものです。それぞれの図において、手前と奥にある2つの山が死んだ猫と生きた猫を表しています。左のシュレーディンガーの猫状態においては、これらの猫を表す山の間に、その量子力学的な性質(量子干渉)に由来する鋭い凹凸が見られます。 一方、右の図においては、左の図にあったような鋭い凹凸が見られません
図:重ね合わせ状態
図:混合
 これらの違いは、左図の「シュレーディンガーの猫状態」が「観測することにより初めて生死が決定する状態」であるのに対し、右図の単なる混合は「生死はあらかじめ決まっているが、どちらかは分からないだけ」であることに由来しています
 

この状態を作るには

 この状態を生成するためにはいくつかの方法が考えられていますが、その中でもっとも簡単なものは、直交位相スクイーズド状態*3から光子を一つ差し引くというものです。
 具体的には、図1に示すように、スクイーズド状態の光を反射率5 %のビームスプリッターでわずかに分岐し、それを光子検出器へ導波します。ここで、光子が検出されたときにのみゲートを開けると、もう一方には「シュレーディンガーの猫状態」が生成されます*4。
今回の実験では、光パラメトリック共振器を連続波励起することにより生成される、波長860 nm帯のスクイーズド状態を用いました。また、光子検出器には、アバランシェフォトダイオードを搭載した市販の製品を用いました。
生成されたシュレーディンガーの猫状態はホモダイン検波により測定され、そのウィグナー関数が構築されます

 
図1
図1

当研究室において生成された「シュレーディンガーの猫」状態

図:ウィグナー関数の谷
 我々の実験では、世界最高水準の品質で「シュレーディンガーの猫」状態を生成することに成功しました。そのウィグナー関数(右図)の谷における値は−0.08となり、フランスの国立科学研究センター(チャールズ・ファブリ研究所)のグループが作った状態における値−0.03に較べて大きな改善が達成されました

シュレーディンガーの猫状態と情報通信の未来

 コヒーレント状態の光を用いたネットワークの基幹回線において、受信側で信号パルス間に量子計算を施しながら復号を行うことで、量子力学的に許容される究極の伝送路容量を実現することができます。将来の情報通信ネットワークには、こうした受信機を主要なノードに設置する「量子ノード技術」が必要になると考えられます。
 ここで、信号パルス間に量子計算を行うとは、復号回路の中に「シュレーディンガーの猫状態」を自在に生成し制御しながら測定を行うことを意味します。つまり、シュレーディンガーの猫状態が実験的に生成できたということは、量子ノード技術の実現に向けた第一歩であると言えます

補足

*1 コヒーレント状態
レーザー光は位相のそろった最もきれいな波の状態ですが、特定の時刻における波の振幅の値が完全に決まることはなく、必ずある程度の揺らぎを伴います。この揺らぎは量子力学の不確定性原理に起因しており、量子揺らぎと呼ばれています。
コヒーレント状態とは、こうした揺らぎが量子力学的に許される範囲で最小となり、さらにどこの位相(時刻)においても一定となっているような状態です。これは、さまざまな量子状態の中でも、古典的な光(電磁場の波動)にもっとも近いものです。

*2 ウィグナー関数
ウィグナー関数は「準確率密度関数」の一種で、量子状態を表現する際に多く用いられるものです。これは、実験により得られたデータから、ホモダイントモグラフィ(ホモダイン検波による量子状態断層撮影とも言うべき手法)により求めることができます。
基本的には確率密度関数なので、コヒーレント状態など古典的な状態において負の値をとることはありませんが、重ね合わせ状態(シュレーディンガーの猫状態)など非古典的な量子状態においては負の値をとることもあります。そのため、非古典的な状態の品質を評価するときには、ウィグナー関数の値がどれだけ負になっているかを指標にすることがあります。

*3 直交位相スクイーズド状態
コヒーレント状態にあったような振幅の量子揺らぎを完全に消し去ることは、原理的に不可能です。しかし、ある位相の領域(時間間隔)で量子揺らぎを抑圧することは可能です。このように、量子揺らぎの大きさを人為的に制御された光の状態をスクイーズド状態といいます。
スクイーズド状態において、量子揺らぎの抑圧された位相領域とは別の位相(正確には90度ずれた位相)において、量子揺らぎは逆に大きくなってします。

*4 実験の概念について補足
スクイーズド状態のビームを2つに分岐すると、ビーム間に量子もつれという特殊な相関が形成されます。この量子もつれがあるとき、一方のビームにある操作を施すと、(空間的に離れていても)もう一方のビームの状態がそれに応じて変化します。
光子検出過程はそれ自体が強い非線形操作であるため、片方のビームに光子検出を行うと、もう一方のビームにも強い非線形変換が引き起こされてシュレーディンガーの猫状態が生成されます。なお、通常のレーザー光のコヒーレント状態をいくら分岐しても量子もつれは形成されず、このようなことは決して起こりません。
 
図:スクイーズド状態の分枝

量子相関光子状態制御

 光の直交振幅と呼ばれる連続スペクトルを持つ物理量に基づく量子もつれ状態の生成・制御の研究を進めています。さらに、量子もつれを積極的に使った新しい計測・標準技術の開発も我々の重要なミッションの一つです。量子もつれ状態を、量子通信路のパラメータ推定やナノ構造物の計測、電子状態もモニタのためのプローブとして使い、これまで見えなかった情報を正確に取り出そうという技術です。これは次世代の周波数標準や電磁界計測へ向けた基礎技術として位置付けています。

主担当者: 笠井克幸

(1)ブライトスクイーズド光と量子相関光子対ビーム

 光パラメトリック発振器は光の量子状態制御を行う上で有用なデバイスです。私達の研究室ではフリーランでも発振可能な高安定・低発振しきい値(400µW)のセミモノリシック型光パラメトリック発振器を開発し、連続波(CW)のブライトスクイーズド光と量子相関光子対ビームの発生に成功しました。真空場のスクイーズド光はそれ自身パワー成分を持たない状態ですが、ブライトスクイーズド光はパワー成分を持ち且つ量子雑音が抑圧された光です。また、量子相関光子対ビームでは二つのビーム間の光強度差にスクイージングが得られます。開発したセミモノリシック型光パラメトリック発振器は、端面に反射コーティングを施したType IIのKTP結晶と凹面ミラーより構成されます(図1)。

図1
図1 セミモノリシック型光パラメトリック発信器
 ブライトスクイーズド光の発生には、二次の非線形効果 χ(2) によるパラメトリック過程とミキシング過程を共振器内でカスケーディングする χ(2):χ(2) 過程を用いました。これにより等価的に三次の非線形効果 χ(3) がCWで得られ、入射した光はその強度に応じた非線形位相シフトを受けます。その結果、量子雑音が歪みブライトスクイーズド状態となります。この方法では、入射した光と同一波長のブライトスクイーズド光が得られるため、”Quantum Noise Eater”として動作します。実験では入射パワー8mWに対して4mWのブライトスクイーズド光が得られ、30%のスクイージングを観測することができました(図2)。この観測結果に検出時の効率等を考慮しますと、48%のスクイージングが得られていたことになります。

図2
図2 Observation of Bright Squeezed Light
 光パラメトリック発振器では光パラメトリック過程によりシグナル光とアイドラ光のモード間に強い量子相関が形成され、その出力光は量子相関光子対ビーム(Twin Beams)となります。共振器内の結晶にType IIのKTP結晶を用いているため量子相関を持つシグナル光とアイドラ光の偏光は直交していて、PBSを用いて簡単に分離することができます。分離した光子対ビームをそれぞれ検出器で受け光強度差の雑音を観測した結果、82%のスクイージングを観測することができました(図3)。検出器の効率等を考慮すると95%以上のスクイージングが得られていたことになります。励起光40mWに対して30mWの光子対ビームが得られていて、65%の高い変換効率を達成しています。

図3
図3 Observation of Intensity-difference squeezing
 図4は、光子対ビーム間の光子数揺らぎの確率分布を検出器の光電流揺らぎから計測した結果です。比較のために、二つの独立なコヒーレント光に対する計測結果を(a)に示しています。光子対ビーム間では光子数揺らぎに強い相関があり、(b)は(a)に比べてつぶれた非古典的分布状態となっています。この量子相関光子対ビームを用いることによって、秘匿通信やサブショットノイズ計測への応用が期待できます。

図4
図4 Measured joint probability distribution of photon numbers

(2)2モード真空スクィーズド状態の生成

 上で述べた量子相関光子対ビームは、光パラメトリック発振器の閾値以上での発振により生成されるため、光強度で見た量子相関は顕著なものの、位相の相関はまだ十分には形成されてはいません。より高度な量子情報処理のプロトコルを実現するためには、位相と振幅の両方に関する強い量子もつれの相関は必要になります。そのために最も顕著な量子相関効果を示す光源として多モードスクイーズド状態の生成にも取り組んでいます。まず、スクイーズド状態は KNbO3(ニオブ酸カリウム)結晶の非線形光学効果を利用して生成しますが、微弱な非線形効果を強めるために共振器内において多重に相互作用させます(図1参照)。これにより 1つの共振器からは最高−3.6dB(33%)のスクィーズド状態を生成することに成功しました(図2参照)。

図1
図1 スクィーズド状態を生成するための光学システム。
図2
図2 スクィーズド状態の雑音電力

横軸は時間で、局発光との相対位相を変化させた場合(赤)と変化させない場合(青)が示されている。緑の線がショット雑音の信号レベル。
 このスクィーズド状態を 2つ用意し、その主軸が直交するように 2つ重ねあわせた状態が 2モードスクィーズド状態です。これは強い量子力学的相関(EPR 相関)を持ち、量子テレポーテーションや量子デンスコーディングなどの実験に用いられます。我々の研究室でも量子デンスコーディングの実験(図3参照)を行い、通信路の雑音を低減できることと、盗聴に対する秘匿性が高まることを確認(図4参照)しました。

図3
図3 量子デンスコーディング実験の原理


2モードスクィーズド状態の一方に2次元信号を載せて送信(signal beam)し、受信側でもう一方(decoding beam)と重ね合わせることによって信号を回復する。
図4
図4 量子デンスコーディング実験の結果


直交する 2次元信号の両方で雑音が減少していることが判る。また信号回復前の状態(EPR beam)では雑音が増加し、秘匿性が高まっていることも確認できる。